お家でゆったり読書タイム。
日曜日の午後は、ソファーに寝転がって、読書をすることがルーティンになっています。
こちらが私の居場所です。
もう15年近く使っているソファーですが、柔らかすぎず、程良い弾力性があって気にいっています。
アマゾンアンリミテッドを契約しているので、それなりに自分の興味のある本を選びながら、ラウンジで読んでいる感じ。難しい本よりも、気軽に読めるものの方が多いですかね。
Boseのポータブルスピーカーでラウンジ音楽を流したりしながら、ゆったりと読書をすることが好きです。
リラックスをするためにアロマを書くことも好きなので、無印良品で買ってきた、こちらのディフューザーを使って部屋の中を自分の好きな香りにしています。
私が座りながら、あるいは横になりながら本を読める時間なんて、せいぜい2時間。あまり集中してやりすぎていると、首が痛くなってしまったりするもの。ですので、それほど長く続くものではありません。
でも、普段のバタバタした生活を考えてみれば、2時間もリラックスをしながら本を読むなんて、なかなかできるものではありません。ですので、この2時間は私にとってはかなり大切な時間となっています。
コロナウィルスの影響で家にいる時間が長くなってきています。できれば、週末は、自分の部屋をダラダラできる空間に変えて、また月曜からのリモートワークに備えたいものですね。
「大学って行く必要あるの?」という批判的問いについて考えたこと。
今の時代、大学なんて行く必要ないんじゃないの?という話をYouTubeで聞いていて、うーん、いろいろな考え方があるものだなと感じた。
私の見解は、知的探求を「学術的に行いたい」のであれば、大学に行った方が良い。
である。
話を聞いていると、「ビジネスをするには」「就職をするには」という感じ。
確かに、それをするには、今の時代、大学に行く必要もなさそう。
でも、学術の世界というのは、ある専門的な「ことば」を使用して、知識が厳格に構築される世界なのです。
この「ことば」というのは、専門用語というだけではなくて、広くは「言説」と言えるのかもしれません。つまり、我々が真理を話すときに「どう話すか」ということも規定しています。
例えば、自然科学の分野であれば、徹底的な客観主義的立場から、量的結果をもとに、真理を語ることを要求されること多い。
逆に、哲学の分野で言えば、いわゆる「科学的な言説」は求められないでしょう。
社会学は社会学的な伝統に基づいて、文化人類学は文化人類学的な伝統に基づいて、言語学なら言語学的伝統に基づいて、研究を行い、その分野、あるいは、社会に貢献することを期待される。
だから、ただただ物事をたくさん知っていて、「それをもとにビジネスができる」とか「稼ぐ額や人生の質がゴールだ」とか「ライフハック論」とか「知恵」とは、ちょっと話が違うと思うのです。
科学者がどう「真理(と呼ばれるもの)にたどり着くか知っていますか?
哲学者がどう「真理(と呼ばれるもの)」にたどり着くか知っていますか?
社会学者がどう「真理(と呼ばれるもの)」にたどり着くか知っていますか?
人類学者がどう「真理(と呼ばれるもの)」にたどり着くか知っていますか?
言語学者がどう「真理(と呼ばれるもの)」にたどり着くか知っていますか?
言語学の中でもいろいろな分野があります。違う方法論を使用することもあります。それらによっても話され方が異なってくる。
その分野について「たくさんのことを知っている」だけではないのです。
ある人が、ネットで学んだこと、一般書を読んで知ったこと、メディアを媒介して知ったこと、他の人から聞いたこと。そういう知識の量だけではないのです。
「知っていること」をペラペラ話し、それを実践して、生活が素敵になって、それを発信して、たくさん「イイネ」がついて、購読者が増えて、収益をあげて…
そういうことが目指すべき「真理」であれば、当然、それにあった「話し方」が生まれてきます。「独立」「収益可」「最適化」などなど、実用的な言説、機能的と思える言説に満ち満ちています。
当たり前のことかもしれませんが、これらは、大学で学ぶものではないのかもしれませんね。
ツイッターでも書いたのですが、「今の時代大学に行く必要ってあるの?」という疑問が生じるとき、高等教育に対する疑問や批判に終始してしまうのは、ちょっと違うのかなと思うのです。
意味があるのかを気にしているのは、「自分」です。
だから、高等教育に対する批判でなく、「なぜ自分が大学に行く必要ってあるのかと疑問に感じているのか」「どんな価値観に基づいてそう信じているのか」「どんなイデオロギーに影響を受けてそう思っているのか」など
まずは、自分自身を見つめることが大切なのかなと思うのです。
大学に行く必要がある?と言っている自分、それ自体をしっかりと内省できた方が、自分が本当に大学行く必要があるのか、より深く考えることができるのではないかと思うのです。
将来は1ヶ月ごとに移動していくような滞在型の旅行ができないかと計画妄想中。
最近、連れと、リタイアしたら、あちこち1ヶ月ぐらいずつ、旅行しようなんて話が出ています。
どれほど、現実的なのか、わかりませんけど💧
いろいろなサイトで勉強させてもらっていますが、私たち的に、ビビッときているプランは、こんな感じ。
最初は、大好きなバンコクに移住できたらいいね!と話していたのですが、自分たちの性格を考えると、一箇所に定住してしまうと、好きなものでも飽きてしまうのではないか?そんな懸念です。
行きたい場所は、どこも、食べ物が美味しい場所。
というか、これまでの旅行の中で好きな都市なんですよね。
これまであんまりヨーロッパやアメリカに行ってこなかったので、そちらにも、足を伸ばしたい。
日本に関しても、実家はあるのですが、うちを継ぐわけではないので、1ヶ月単位ぐらいで、移動をしていきたい。どこも、思い出の場所。
とはいえ、計画は、7年とか、まだまだ先のこと。
いろいろなことを考えながら、少しずつ準備をしながら、現実にしていきたいなと思っています。
スーレー・シャングリラ・ヤンゴンに宿泊してきました ー朝食、ジムとプールー
初めてのヤンゴンは、スーレー・シャングリラ・ヤンゴンに宿泊をしました。日本円にして1万円程度ですので、悪くないのではないかと思います。
シャングリラには、年に数回(一回も泊まらない時もありますが)ゴールデンサークルのなんちゃってジェイドをもっていますので、朝食は、こじこじさせてもらいました。
朝食は、一階ロビー階にあるカフェ・スーレーでいただくことができます。
いつものことながら、写真が全然ありませんので、オフィシャルサイトから拝借しました。
出典: http://www.shangri-la.com/jp/yangon/suleshangrila/dining/restaurants/cafe-sule/
こう見ると、開放的に見えますが、実際には、もっと混雑していて、なんとなく暗い感じだった印象。仕方ないですよね、年末でしたし。
この前まで宿泊していたバガンのホテルの朝食は、美味しかったけれど、ベーシックな感じのでしたので、インターナショナルブッフェがいただけるだけで、けっこうテンションあがります✨
この日は、12月26日。
ペイストリーにクリスマスの飾りがザクザクと刺されていました。
紅茶に甘い練乳を入れたミルクティーです。ミャンマーだけでなくて、東南アジアの国でも飲めたりしますよね?
こういう現地のものを朝食で味わうことができるの、大好きです。
それから、こんなのも、ありました。ミャンマーの赤飯…かなあ。
インターネットで調べてみると、ミャンマーの人は朝食にこれを食べると書いてあります。
これも、なんか、おこわみたいな。
あと、これ、ちょっとわからなかったのですが、なんか、ナポリタン、みたいな?
ご存知の方いらっしゃたら、ご教示ください!
で、どうしても、珍しいもの食べたいよね〜となるので、こんな感じの配色になってしまいます😅
2日目もこんな感じ。配色っ!
ベーコンやらエッグやら、そういうの、インターナショナルブッフェでは、あんまり手が出ないんですよね。
こちらは、モヒンガーではなくて、ココナッツヌードルスープとありました。
スムージーやらヨーグルトやら、そういうものも美味しかったですね。あと、ミルクティーの隣にあるミャンマーのお菓子もいただきました。
大変多文化的で、私たちにとっては、豪華な昼食を無料でいただけて、ハッピーな2日間でした。
それから、ホテルには、ジムも。
トレッドミルで少しだけ運動させてもっただけだったのですが、マシーンの種類も多く、旅行中でもしっかりと運動したい人には良いのではないでしょうか。
それから、プールの方も、しっかりと泳げる仕様になっています。
今回は、中日にちょっと、プールサイドで昼寝〜ぐらいだったのですけど。やっぱりホテルのプールは、いいですね。
なんか最近は、高級ホテルというものに縁遠くなっています。
高級ホテルといっても、人によって、定義は様々。私たち的には、ヒルトンなんかは、高級ホテルです。
マンダレーでもヒルトンに宿泊したけれど、それは、ポイントで宿泊ができて、朝食がいただけるから。そうでなければ、もっと他の安いところで、十分。
このシャングリラも、他のところに比べて、数千円払うだけで、朝食がもらえるし、部屋はアップグレードしてくれるし、プールやフィットネスはいいし…ということでの宿泊でした。そうでなければ、多分、他を選んでいたのかなあと思います。
ホテル選びって、なかなか面白いところですよね。
ネット上では、私なんかよりも、すごく上手にホテルを選ばれている方々がたくさんいて、その人たちの、単なる高級志向に止まらないホテルの選び方をいつも参考にさせてもらっています。
スーレー・シャングリラ・ヤンゴンに宿泊してきました ーホテルの周りと部屋ー
初めてのヤンゴン、ホテルは、スーレー・シャングリラ・ヤンゴンにすることにしました。
シャングリラは、バンコクのシャングリラがとても好きなのですが、最近は、ご無沙汰気味。ネットで見ていたら、一番安い部屋なら1万円とかとても安く宿泊できるので、じゃあ、贅沢させてもらいましょう!ということで、ここになりました。
こちらは、大好きなシャングリラ・バンコク。
こっちは、シドニーのシャングリラです。
ヤンゴンの街は、スーレーパヤーを中心に設計されているのですが、そのパヤーからとても近いロケーション。
今回はちょっと行けなかったのですが、スーレーパヤー。
次回来た時のお楽しみ。
シャングリラが隣接している商業ビルはスーレースクエアという場所なのですね。
ホテルに入ると、シャングリラホテルのフレグランス。
これによって、どこのシャングリラに行っても「あ、帰ってきたなー」という気分になれます。まずは、嗅覚を刺激する感じ、おもしろいなあと思います。
あれ?でも、ケアンズでは、このフレグランス、使われていたかな…
チェックインもとてもスムース(ていうか、スムースじゃないチェックインに当たったことがないので、よくわかりませんが)
ゴールデンサークルのジェイドということで、お部屋のアップグレードとレイトチェックアウトをいただきました(夜便だったので、助かります)
こちらはロビーの前のディスプレイ。
なんで、傘なんだろう…
部屋はそれなりに高層階だったかなと思います。
普通のツインの部屋でしたが、この前の部屋がかなりシンプルなものだったので、すごく豪勢に見えます。前のバガンのホテルが7000円、ここが1万円ぐらいということで、3000円でここまで違いが出るというのにちょっと驚いていました。
こちらも悪くはなかったですが、ベッドはちょっと…w
ジェイドということで、ウェルカムギフトもいただきました。
なんかコークゼロが置いてあるのって、なんか珍しいかも。
あとは、チョコレート🍫
これも美味しくいただきました〜
これは、部屋からの眺め。
大きなビルと人々の生活がちょっと見える、みたいな感じ。
こちらは夕方の写真。
最近は、どんどん高級ホテルと言われるものに泊まらなくなっているのですが、まあ、たまには、予算の許す範囲で、シャングリラのようなホテルに泊まるのも悪くないなあと思いました。やっぱりベッドは心地よいし、部屋も清潔ですしね。あとは、長旅になってくると、プールやジムなどが充実している方が良い。今回はジェイドがあったので、朝食もタダでいただけるということ。なるべく予算やベネフィット、滞在する目的などに合わせて、スマートにホテルを選んでいければなあと思っています。
「私こんな新しいお金の稼ぎ方をしているんです!」が「生きる目的」になってしまう場合の問題点について考えてみたこと。
YouTubeが好きで、いろいろな人の話を聞かせてもらっています。
最近は、それで生業を立てているブロガーさんや、それはそれはたくさんのお金を得ているYouTuberを見かけます。
サラリーマンが何年働いても、稼げないような金額を得ているような人もたくさんいますよね?
そんな額を手にしたことのない私には、想像もつかない世界なのですが。
***
とあるブロガーさん
これまでブログで月に200万円も手にしてきたそうなのですが、コロナウィルスの影響で、広告収入が減って、収入がゼロになってしまったそうです。
月200万円が、どのくらいの期間、入ってきたのかはわからないのですが、例えば、2年とか入ってきていた場合、超単純計算で、難しいことを抜きにして、2400万円。
私だったら、どのくらいの期間生活できたのだろう…
そんなことを、まずは、考えてしまいます…
多分、月200万円を使ってしまうことはできない。
と私は思うので。
月20万円として、120ヶ月。
2400万あれば、10年ぐらい、暮らせてしまいそうな、そんな気がします。
でも、これは、あくまでの「今」の私の感覚ですが。
***
そのブロガーさんのおっしゃっていることで、気になったことが、
なんだか生きる目的を失ってしまった…
でした。
なるほど。
でも、それは、収入がなくなってしまうからではなさそうなのです。
これまでの自分のあり方が変わってしまったから。
そういうことでした。
そりゃそうですよね、今まで「こんなお金の稼ぎ方があるんですよー!」を発信してきたのが、崩れたわけですから。
わからないでもありません。
喪失感はあるでしょうね。
ブログやYouTubeを通して、この新しいお金の稼ぎ方を発信する人々。
それは、もちろん、それをして、お金を稼ぐため、というもがありますよね。
でも、それだけではなく、それ自体が、新しいこと、素晴らしいこと、目指すべきこと、進むべき道、そんな風になってしまっている気がします。
「会社のために働いても意味ないですよー。だって、会社は、平気でクビにするし、自由を奪うしー。だから、こうやってお金を稼ぎましょう!」
すごくわかる。
でも、「それが目的ですよー!」は、「それ」がなくなってしまえば、脆いもの。
しかも、ある意味で、新しいお金の稼ぎ方は、社畜精神以上に、お金の稼ぎ方に固執したあり方と言えるのではないでしょうか。
新しいお金の稼ぎ方ができるところに、生きる意味、自分の存在理由が、粘着する。
その新しいお金の稼ぎ方によって生み出された「時間」「自由」を謳歌する私。
それに関して先陣を切って発信する私。
前衛的な私。
憧れられる私。
インフルエンサーな私。
ブログやYouTubeで発信されるものは、そういった行動的断片が多く見られる。
でも、それは、どこまでも資本主義に立脚した「アイデンティティの構築」である。
「社畜的あり方から解放されました〜!」
それは確かにそうかもしれないけれど、それは、ある意味、今まで以上に「私のあり方」と「お金の稼ぎ方」を意識した社会的存在である。
新しいお金の稼ぎ方、それに基づいたライフスタイルの提示・提案は、それが目的になってしまうと、新しい金畜的な個人をたくさん排出してしまうのかもしれない(お金の稼ぎ方と自己のあり方が切り離せない関係になっているという意味で)。
「新しいお金の稼ぎ方をする私」を否定するわけではないのでけれど、それが目的になってしまった場合、それが崩れたとき、大きな自己喪失感を経験するのかもしれません。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
ミャンマーの航空会社、Air KBZに乗る。
バガンはニャウンウー空港、とても小さな空港で、私が調べた限り、ラウンジ等々、ありませんでした。連れと小さなカフェで時間を潰していました。
チェックインカウンターが開き、〇〇航空にご搭乗の皆様、こちらにお越しください〜みたいなことを、マイクではなく、実声で叫ぶ。そして、荷物を預けると、胸にシールを貼ってくれます。いくつか同じ時刻に他の便が出発するので、そのチェックのようですね。かなりマニュアルな世界でした。
ゲートを通ると、ガランとした待合室。ここで、30分ぐらい待って、歩いて飛行機に向かいます!
たまにこんな歩いて飛行機に向かうというのも良いですよね。
ニュージーランドのロトルアに行った時も歩いて搭乗でしたね。この時は、荷物のチェックもなく、へー、そんなもんなんだ、と驚いたのを覚えています。
旧型iPhone SE氏なので、画質が荒く、すみません😅
尾翼のAir KBZのロゴ。
ワクワクのプロペラくん。
荷物もこんな感じで積み上げていくようです。大変ご苦労様です。
私達は尾翼の方から搭乗して、前に進んでいきます。
ATR72-600。とても小さいシップで、座席は2-2。
背の高い人は、天井きつそうです。
席に着きます。
ピッチは狭いですが、背が高くないので、問題なし。
おしぼりをいただきました。
なんか東南アジアでもらうおしぼりってなかなか匂いが強烈じゃないですか?
マンダレーからバガンへのバス移動にもらった紙のおしぼりもなかなかの匂いでした。
小さめのフリート。上にも書きましたが、今回はATR72-600。プロペラ機です。調べたところ、まだ3年しか経っていないシップだったのですが、もう少し古く見えたかも。どこか他の航空会社からやってきたのかもしれないなあと。
出発は若干遅れましかね。
ちょっと記録してなくはわからないのですが。
安定飛行に入ると、ミールがやってきました。
東南アジアの航空会社のミール、可愛い感じがして、すごく好きです。
タイスマイルの機内食も可愛らしかったです。
クリーマーと砂糖もちゃんとロゴ入りのもの。
中身はこんな感じ。デニッシュとケーキ。
めちゃくちゃ美味しい!というわけではなかったけど、今まで乗ったことのない航空会社が提供するものを体験するのは、それだけで楽しい。
そうこうしているうちにヤンゴンの近くまでやってきていたようです。1時間20分のフライト。短かったですね。予定より20分ほど遅れてヤンゴン空港に到着です。
ヤンゴン、始めてきたー!という感じでいたのですが、その昔、ブータンのドゥルックエアーに乗った時、パロに行く途中に一回止まった空港? 来たことあったのですが、あの時は、自分がどこを経由して、目的地のブータンに向かっているのかもわからなかった模様です。なるほど、ぐるぐる回っているのね。
ホテルに向かうのに、バスで行こうと思っていたのですが、バス、なかなか来ず。バスを待っていたよくわからないおじさんと一緒にタクシーをシェアして、一路ヤンゴンのホテルに向かいます!