Time is a Traveller

旅行記とか、アーリーリタイアとか、日々の雑多とか。

「私こんな新しいお金の稼ぎ方をしているんです!」が「生きる目的」になってしまう場合の問題点について考えてみたこと。

YouTubeが好きで、いろいろな人の話を聞かせてもらっています。

 

最近は、それで生業を立てているブロガーさんや、それはそれはたくさんのお金を得ているYouTuberを見かけます。

 

サラリーマンが何年働いても、稼げないような金額を得ているような人もたくさんいますよね?

 

そんな額を手にしたことのない私には、想像もつかない世界なのですが。

 

***

 

とあるブロガーさん

 

これまでブログで月に200万円も手にしてきたそうなのですが、コロナウィルスの影響で、広告収入が減って、収入がゼロになってしまったそうです。

 

月200万円が、どのくらいの期間、入ってきたのかはわからないのですが、例えば、2年とか入ってきていた場合、超単純計算で、難しいことを抜きにして、2400万円。

 

私だったら、どのくらいの期間生活できたのだろう…

 

そんなことを、まずは、考えてしまいます…

 

多分、月200万円を使ってしまうことはできない。

 

と私は思うので。

 

月20万円として、120ヶ月。

 

2400万あれば、10年ぐらい、暮らせてしまいそうな、そんな気がします。

 

でも、これは、あくまでの「今」の私の感覚ですが。

 

***

 

そのブロガーさんのおっしゃっていることで、気になったことが、

 

なんだか生きる目的を失ってしまった…

 

でした。

 

 

なるほど。

 

でも、それは、収入がなくなってしまうからではなさそうなのです。

 

これまでの自分のあり方が変わってしまったから。

 

そういうことでした。

 

 

そりゃそうですよね、今まで「こんなお金の稼ぎ方があるんですよー!」を発信してきたのが、崩れたわけですから。

 

わからないでもありません。

 

喪失感はあるでしょうね。

 

 

ブログやYouTubeを通して、この新しいお金の稼ぎ方を発信する人々。

 

それは、もちろん、それをして、お金を稼ぐため、というもがありますよね。

 

でも、それだけではなく、それ自体が、新しいこと、素晴らしいこと、目指すべきこと、進むべき道、そんな風になってしまっている気がします。

 

 

「会社のために働いても意味ないですよー。だって、会社は、平気でクビにするし、自由を奪うしー。だから、こうやってお金を稼ぎましょう!」

 

すごくわかる。

 

でも、「それが目的ですよー!」は、「それ」がなくなってしまえば、脆いもの。

 

 

しかも、ある意味で、新しいお金の稼ぎ方は、社畜精神以上に、お金の稼ぎ方に固執したあり方と言えるのではないでしょうか。

 

新しいお金の稼ぎ方ができるところに、生きる意味、自分の存在理由が、粘着する。

 

その新しいお金の稼ぎ方によって生み出された「時間」「自由」を謳歌する私。

 

それに関して先陣を切って発信する私。

 

前衛的な私。

 

憧れられる私。

 

インフルエンサーな私。

 

ブログやYouTubeで発信されるものは、そういった行動的断片が多く見られる。

 

でも、それは、どこまでも資本主義に立脚した「アイデンティティの構築」である。

 

 

社畜的あり方から解放されました〜!」

 

それは確かにそうかもしれないけれど、それは、ある意味、今まで以上に「私のあり方」と「お金の稼ぎ方」を意識した社会的存在である。

 

新しいお金の稼ぎ方、それに基づいたライフスタイルの提示・提案は、それが目的になってしまうと、新しい金畜的な個人をたくさん排出してしまうのかもしれない(お金の稼ぎ方と自己のあり方が切り離せない関係になっているという意味で)。

 

「新しいお金の稼ぎ方をする私」を否定するわけではないのでけれど、それが目的になってしまった場合、それが崩れたとき、大きな自己喪失感を経験するのかもしれません。

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。